【我が家のビリギャル】娘に足りないもの

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娘との勉強を再開して約20日。やっていることは
毎日1ページずつの基礎ドリル(4教科)をする
週2回一緒に勉強をする時間を持つ
ですが、週2回の勉強タイムで確認してみると、最近は滞っている状態💦 特に苦手な問題はとばし、後で答え合わせをする時に赤で答えを丸写し これだから学力が伸びないのですね 単に「勉強しなさい!」と言っていても、助けにはならない。きちんと何をしているのか確認してアドバイスをしてあげないといけない、ということに改めて気付かされました。中学生にしてこのレベル💦 放置しすぎました。

でも、彼女の場合、このまま私が監視をしながら勉強をしてもあまり伸びないのではないか、と思うようになってきました。彼女に圧倒的に足りないものがあるのです

私は、幼稚園くらいの時のある朝のワンシーンを今でもはっきりと覚えています。私の目に映った母の姿、少し空いた状態の押し入れの前で時が止まったようにたたずんでいた自分、様々な思いが小さな頭にぐるぐると廻ったのを覚えています。それは突然やってきたのです。いつもと同じ朝でした。いつものように忙しそうに動き回る母がいました。父の厚い作業服を丁寧にアイロンがけし、その後慌てて台所へ行き、味噌汁の味見をしていました。私はそんないつもの母の背中を見ていて、その日、急に頭の中にランプがパッと灯ったような、視界が一瞬にしてクリアになったようなそんな衝撃を受けました。いつもの母なのに、いつもの母ではなく、「家族のために尽くしている母」の姿が見えてきたのです。不思議でした。

私は3人きょうだいの末っ子で唯一の女の子でしたから、父に可愛がられていました。お風呂に入っても、寝るときも、父は「お父さんとお母さんのどっちが好き?」と聞くのです。私は迷いもなく「お父さん!」と答えていました。隣に母がいても躊躇なく「お父さん!」と答えていました。それについて母は何もいいませんでした。

ところが、あの日以来、私は「お父さん」と答えられなくなったのです。お父さんでもお母さんでもなく、そんな質問に答えることなんてできないと思い、それ以上に、母を労わりたい、という気持ちと、尊敬の念が芽生えたのです。父は私の突然の変化に不思議がりました。父が何か私に嫌われるようなことをしたわけでもなく、母が特別何か私を喜ばせるようなことをしたのでもなかったからです。いつもと同じ日常で、私が、というか私の意識が突然変わったのです。以来、私は、言葉には一切しませんでしたが、自分のことは自分でする「意識」が芽生え、母を手伝いたいという気持ちが生まれ、「母の姿」イコール「家族のために尽くしている姿」として映るようになりました。

大人になった今、私はあれを一種の「覚醒」だと思っています。見えていなかったものが見えるようになり、意識が変わる。人は人生の中で幾度か覚醒を体験しながら成長するのではないかと思っています。

我が家のビリギャルは、「自分のためにやらなければいけない」ということが自覚できるようにならない限り、1日いちにちをただいたずらに過ごすだけになってしまいます。宿題だからやる、お母さんに言われるからやる、を繰り返しているだけでは成長しません。どんなに目標を書かせてみても、どんなに計画を立てさせてみても、自発的な「やりたい」という気持ちがない限り、変わることはないことでしょう。

今朝、娘に「覚醒」という言葉を調べるように話をしました。覚醒の意味を知ったところで、覚醒を体験できるわけではないのですが、彼女にも内側から発生する何かによって「意識」が変わることを願ってやみません。見えていないものが見えるようになれば、きっと生活態度が変わる。きっと自分のために努力できる。掲げている夢が、紙の上に書かれた文字から、生きた夢になる、そう思うのです。

あああ、 もうじれったい!!! 目覚めよ、娘!!

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